さてまあ当時のわたしはたったの五歳でした。
当時、その保育士さんが昨年短大を出たばかりの世間知らずなお嬢さんであることなど、ちっとも判ってはいませんでした。
今なら彼女のような女性は、わたしにとって格好の餌食です。
まあ言うまでもありませんが、セックスに対して、そしてわたしのようなそこにつけ込んで女を食い物にするような人間の存在について、無知で無防備な女性というのはほんとうに軽く骨抜きにしやすい。
ただまあ、はっきり言いまして難易度が低いからといってその手の女性がわたしの好みであるか、といえば決してそういう訳ではありません。
むしろ、難易度が低すぎてあまりにも面白くない。
人生経験の少ない人間というのは……これは女にも、男にも言えることですが……
中身が空っぽです。
中味が空っぽな人間というのは、わたしの興味の範疇外です。
何故なら、
しゃぶり尽くそうにもしゃぶるものがありませんからね。
まあまた関係のない話が長くなりそうなので、話を先に進めますが、とにかくそのお嬢さん……いや保育士さん……当時のわたしにとっては“たばたせんせい”は大変魅力的な人でした。
当時の無邪気な感覚で判断しましても、ぱっちりとした目と小柄でしなやかな肉体、そして何より上品な物腰がほかの保育士のみなさんよりずっと魅力的だったのを覚えています。
当時のわたしくらいの年齢の子供にとって、大人の女性はどれも単に「自分より歳を食っている人」であり、保育士の方だろうと園内掃除を担当するおばちゃんであろうと、たいした違いはありません。
それでもわたしは若く、美しい女性に魅かれることが多かった。
とにかく、年老いた女性のそばにいるよりも若い女性のそばにほうが、そして、不細工な女性のそばにいるよりは奇麗な女性のそばにいるほうが居心地が良いのです。
このへんは、わたくし特有の動物的勘といいましょうか。
生まれ持った天分とでも申しましょうか。
その“たばたせんせい”ですが、よく職場で、先輩の保育士さんに叱られていたのを覚えています。
実際、彼女が世間知らずで要領が悪く、ドン臭かったことは事実でしょう。
ですが、それにしても先輩保育士さんたちはわたしたち子供の前であることを憚らず、彼女を怒鳴りつけたり立たせてネチネチと小言を言ったりして激しく攻め立てていました。
幼いわたしにはその様子は、いやがらせか苛めにしか見えませんでした。
実際そういうところもあったのでしょう。
何故なら、“たばたせんせい”があまりにも美しかったからです。
前述しましたように、彼女は他の保育士の先生よりずっと美しかった。
それに、他の先生方よりも一回り若かったのではないでしょうか。
当時のわたしにそこまで伺い知ることは無理というものですが、“たばたせんせい”とその他の古株の保育士の先生方のいずれかの間に、なんらかのトラブルがあったのではないでしょうか。
あからさまに男女間のトラブル、というわけではないでしょうが。
たとえば園長先生が(男性でした)やたら“たばたせんせい”を依怙贔屓する、とか。
“たばたせんせい”はそんなふうにネチっこく先輩保育士の先生方に苛められた後も、涙を見せるようなことはなく、怒りや悲しみや理不尽を、ぐっと堪えるかのような表情をよく浮かべていました。
そういう表情に、当時5歳だったわたしはズキンときたものです。
昔から、といいますか物心ついた頃から、わたしは女性のこういう表情に弱かった。
多分、“たばたせんせい”はその未熟ながらも実直な職業意識から、子供たちの目の前で涙を見せるなどということはしてはいけない、と真摯に心に決めていたのではないでしょうか。
あほらしい話です。
誰だって、一度は泣くのです。
しかし、そういう健気な姿勢は(もちろん、当時からそれを健気だと思っていたわけではありませんが)わたしの胸を打ちました。
こういう、人間個人個人が抱えている“つまらない自負心”がわたしを亢奮させるのです。
その日も……“たばたせんせい”は先輩保育士の先生にひどくいじめられていました。
日常的な風景ではありましたが、その日は何と3人がかり。
はっきり言って、子供であるわたくしたちもなんだか自分の先生がしかられているのを見て、自分がしかられているような気がしてくるから困ったものです。
頭の弱い友達のユウスケ君なんかは、すっかり脅えて泣きだしてしまいました。
その日の夕方、毎日わたしを迎えにきてくれていた母か祖母が、二人とも何らかの事情で遅くなっていました。
つぎつぎと園児達が帰っていく中で、わたしは取り残され、いつの間にか気がつけば園内はわたしと“たばたせんせい”だけになっていました。
他の先生たちも姿が見えません。
“たばたせんせい”は大変疲れた様子で、わたしの顏をのぞき込みますと、非常に寂しげに笑いました。
「ちょっとお散歩しようっか」彼女はいいました。
わたしは素直にうん、と頷きますと、“たばたせんせい”の手に引かれて保育室を出ました。
散歩と、いいましても保育園の敷地内をうろうろするだけです。
保育園の裏手はちょっとした林になっており、そこを“たばたせんせい”と歩いたその日、わたしはなんとなく夏の匂いというものを嗅いだような気がします。
草の匂いと、遠い雨の匂いと、女性の汗の匂いです。
と、“たばたせんせい”が木立の中できょろきょろと周囲を見回しました。
そしてそのまま、わたしの目線の高さまでしゃがみ込み、じっとわたしの目をのぞき込みます。
「……………」彼女は何も言わず、わたしの目を見ていました。
その時わたしは生まれてはじめて……女性の情欲というものに触れました。
明らかにその目線は、いつもの優しい“たばたせんせい”のものではありませんでした。
せんせいの目は少し潤み、黒目の色は差し込む西日に滲み、震えているようでした。
「……誰にも言っちゃダメだよ」
“たばたせんせい”は鼻息交じりにそう囁くと……わたしにそっと唇を近づけました。
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