さてまあ幼稚園時代、“たばたせんせい”を練習台としてのキスの修練に励んだわたくしではありますが、幼稚園が終わり、そのまま小学校に入学しますとほんとうにフツウの子供になってしまいました。
“たばたせんせい”のように幼児や子供に対して変態的な欲情を抱く、「大人の女性」というものはそうそう出会えるものではありません。まあ、幼女や少女に劣情を催す変態なんていうのは、当然わたしの子供の頃もたくさん居たでしょうけどね。
なかなかその逆、というのはあり得ない。
いたとしても、女性のそうした欲望は男性のそうした欲望よりも(どちらもと多分に反社会的なものではありますが)この世の中では抑圧されているようですね。
多分、潜在的にはその手の女はたくさん居るのでしょうけども、なかなか出会うことはできません。
かと言ってわたしもボーッと少年時代の始まりを過ごしていたわけではありません。
さすがに小学校低学年の頃は周りにいる女子児童なぞ、ほとんど毛の生えてない猿と同じであってそれは男子児童にとっても同じことで、すでに自己の“性別”をおぼろげながらも認識していたわたしにしてみますと退屈きわまりない時期であったことは事実です。
この退屈な数年間にわたくしが味わったのは、性的なものから隔絶されていたことからくる飢餓感と、同性に対する引きかえせないくらいの嫌悪感でした。
とにかくわたしは、クラスメイトの男子児童と一緒に居るのがいやでいやで仕方ありませんでした。
まあ、手足を振り回したり、泣きわめいてるかと思えばげらげら笑っていたり、げろを吐き戻したり、うんこやおしっこを垂れたり、意味もなく暴力的、威圧的に絡んできたり、徒党を組んだりと、まったくもって同性のクラスメイトというものはわたしにはうんざりとした気分しか与えてくれません。
まあわたくしは何度も申し上げておりますように幼児期から相当の美貌を有し、幼児から少年期の入り口に差し掛かるにあたってその美しさにもますます磨きがかかっておりましたので、少しおませな女子のクラスメイトなどは早くもわたしに好感を抱き、話しかけてきたり一緒に遊ぼうと誘ったりしてくれもしたのですが、同じクラスの男子児童たちにはそれがとても奇異に映るらしい。
奇異というか、違和感を感じるらしい。
よくある、「女のなかに、男がひとりい~」みたいな感じです。
彼等としては、まだ男子としての性徴を獲得しておらず、同級女児に対しても性的に惹かれるまでは至っていませんので(これはわたしの個人的感覚ですが、その点に関して男子は女子より成熟のスピードが緩い)、わたしに対して妬みを感じているとか、そういうのではまったくない。
ただ単に、自分達と違う、それだけで、彼等にとってはわたしが許せないのであります。
わたしは迫害に遭いました。
まあいわゆる、いじめです。
とは言っても、精通もずっと先に控えた8歳9歳の子供のするこですからたかが知れています。
上靴を隠されたり、砂場で頭から砂をかけられたり、わざと給食の牛乳をこぼされたり、ランドセルに小石を入れられたりと、まあその程度のこと。
わたしは別段気になりませんでした。
なにせ、わたしのほうから彼等と打ち解けようという気持ちがまるで無かったのですから。
まあこの程度で彼等も子供じみた優越性を得ることができるのであれば、それでいいのかな、と。
この時点で、わたしの同性という生き物に対してどうしようもなく幻滅してしまいました。
彼等とのつきあいは、わたしにとって何のメリットももたらさない。
小学校低学年の頃に培ったこの信念は、40を越した今となっても変わりません。
そんなわけでわたしは小学校では女子たちの群れの中で生きるしかありませんでした。
しかし、そこもまたわたしにとっては天国ではない。
退屈極まりないのです。
少々おませさんで、8歳9歳で異性を意識するような少女達とはいえ、しょせん子供は子供であります。
彼女らは純粋にわたくしの顔の美しさに惹かれ、わたしをちやほやしたのでしょうが、それは恋愛感情やら性愛とは何の関係もなく、漠然とした“恋愛”のイメージの片鱗を模写しているようなものです。
わたしと手を繋ごうとしたり、お菓子をくれたり、露骨にパンツを見せてきたりはしますが、しょせん彼女らは子供。男子たちと同じで、中にはなにも詰まっていません。
がらんどうです。
わたしは死ぬほど退屈していました。
毎日学校に行くたびに、ひどい退屈と空虚感に襲われ、早く家に帰りたい…そればかりを望んで日々を過ごしていたものです。
そんなこんなでなんとか4年間をやり過ごし、わたしも4年生になりました。
この時、教室で隣の席になったのが、水井さんという少女でした。
当時、わたくしはまだ10歳の誕生日を先に控えたところで、彼女はもう10歳でした。
彼女はなんとなく……そのへんのまだ小便臭さぷんぷんたる、ジャリどもとは違う印象の少女でした。どことなく、寂しげで、憂いを秘めていて、大人びているというか。
はっきりいってとびきりの美少女だったというわけではありません。
背が高く、やせていましたが、顔はどちらかというとのっぺりとしていて少々寄り目でした。
肩くらいの長さの髪を、左右に、ぞんざいに三つ編みにしていたのをよく覚えています。
彼女の家庭はとても貧しい家庭だったらしく、着ているものもなんだか貧乏臭かった。
しかしそのぼんやりとしたとらえどころのない視線が、わたしの中の何かに作用したのです。
その時のわたしが思ったことはこうでした。
“この女には、中身がある”
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