「……自分のしたことをわかってるね」
わたしはできるだけ声のトーンを抑えて、ゆっくり、どんなバカにも理解できるように、丁寧に話しかけた。
しかし目の前の女子高生は、一向にふてくされた様子を崩さない。
倉庫兼事務所の小部屋の中は、彼女の香りで満ちていた。
シャンプーの残り香と、少しの汗と、新陳代謝の香りだ。少し、桃の香りに似ている。
ピポパポン、ピポパポン。
店のほうから客が入ってくる音がした。
レジを任せている赤尾くん、大丈夫だろうか。マジメでいい子なのはわかっているのだが、どうもトロいところがある。
レジに立たせてもう一ヶ月になるが……どことなく頼りない。
なんか、少しオタクっぽいし。
「ほら、君が盗ったのはこれだけ?…何これ?この季節にカイロなんか盗んでどーすんの?……あと……なんだこりゃ。『ミナミの帝王』って。こんなの読みたいの?」
「………はぁい」
まるで欠伸でもするような返事が返ってきた。
見たところ、16、7というところか。
肩くらいまで伸ばした髪を左右に結わえて、その毛先をやたら気にしている。
脚を大きく組んでいるので、短いスカートから太腿の大部分が露になっている。
黒いハイソックスに包まれた足の先で、踵を踏み潰した傷の目立つ茶色のローファーがぶらぶらと揺れていた。
「……なんでこんなの盗んだわけ?……お小遣いで買えないわけじゃないでしょう。……ってかこんなの、別に本気で欲しかったわけじゃなかったんでしょ?……遊び半分で、万引きしたんじゃないの?」
「……うん?……うぅん?」
なんとも取れない、なんとも解釈しようのない返事だった。
一向に、反省の色というものが見られない。微塵も、垣間見ることができない。
コンビニの雇われ店長になって5年。これまでに何人もの万引き犯を捕まえてきた。
その中には、彼女のような女子高生もいた。
老人もいれば、主婦もいたし、会社員もいた。
セクシーで魅力的な人妻もいた。
一体全体、世の中どうなってるんだ。
うちの店で万引きすれば、人生の経験値が上がるとでも思ってやがるのか。
「……“うぅん”じゃないよ君。これね、判ってると思うけど、犯罪なんだからね。今すぐ警察に連絡してもいいんだよ?……ってか、君は未成年だから、まずご両親に連絡しなきゃだめだな……はい、ここに紙とペンがあるからここに名前を……」
「アレ、しないんっすかあ?」
不意に、女子高生が口を効いた。
見ると、下からなめつけるような目付きは完全にわたしのことを嘲笑っているし、ぽかんと開いたままの口からは、少しめくれ上がった状態の舌が覗いている。
「……アレ?……アレって何?」
「……ほら、アレ。なんか~“他になにか盗んでないか調べるから、目の前で着てるものを全部脱ぎなさい。ヒッヒッヒ”みたいな~」
「な、なにを言っとるんだ君は!」
思わず、大きな声が出てしまった。
「……こわいっす~」まだ、彼女は笑っている。
ピポパポン、ピポパポン。
また客だ。
「……え、脱がなくていいんっすかあ?……」
「……だ、誰がそんなこと言ってるんだ!……もう判った。君には反省の色がぜんぜん見られない。さっそくご両親に来てもらうから、さっさとここに名前と住所と電話番号を書きなさい!!」
「え、でもソレやっちゃったら~……」彼女が、事務椅子の上で、ぐい、と反り返って伸びをする。ブラウスの隙間から、縦型のへそが見えた「……“親に連絡されたくなかったら、おれの言うことを聞きなさい。ヒッヒッヒ”っての、できなくなっちゃうけど~」
「……き、君は自分の立場をわかっとるのか?」
小娘相手に、キレてしまった。
気がつくとわたしは、椅子から立ち上がっていた。
いや、誰だってキレるだろう。あなただったらどうする?
「……え~……わかってるから言ってるんですけど~……これでも一応、ハンセーっての?セーイっての、そ~いうの見せてるつもりなんですけど~……」
「反省とか誠意とか、意味をわかって言ってるのか君は」
「……そんなにあたしの親に連絡したいんですか~?なんでそんなに親に連絡したいんですか~?……でも、にそうしたとして、どうなるってんですか~?」
「もう知らん。もう怒った。親はいい。警察に連絡する。警察に引き渡して、そっちからご両親に連絡してもらうから。そこで思いっきり反省しなさい。もう知りません」
「え~……」足先で剥げたローファーが揺れる「……反省しなさいって~……あたしが反省したからって、店長さん、なんかいいことあるんですかあ~?……ケーサツで~……あたしが親に怒られて~……そこで~店長さんが知らないところで~……泣いて謝ったりしてるところとかを~ソーゾーしたりすると~……店長さんそれで満足なんですか~……?……そういうのが、コーフンするんですかあ~?……それって、マジ変態じゃないですかあ~?……それより~……ここで~……“親にも警察にも言わないから、僕の言うとおりにしなさい”ってしたほうが~……フツーじゃないですかあ~?」
「君はおかしい」わたしは言った「何なんだ。おかしいのは君で、僕はまともだ。何か?……君は、基本的に男というものは誰も、こういう状況になれば、無条件でその立場をいいことに、君の身体を弄びたがるもんだ、と、そんな風に考えてるのか。見くびらないでほしいな。僕は、そういう男じゃない」
「え~……なんか“カラダをモテアソぶ”って~……超エロいんですけど~」
「エロくない!……君はおかしいぞ。そりゃあ世間には、そういう事をするけしからんことを企む輩もいるかも知れない。でも、ほとんどの男はそんなに悪い人間じゃない。頭でそういうことを企むけれども、実際の行動に移すことはない。ほとんどの男にはほとんどの人間には、理性ってものが備わってるんだ。そこが獣と人間の違うところだ」
「え~なんかむつかしくてわかんないけど~……それってつまり、ケッカが怖いからしない、ってだけのハナシでしょ~……リセーとか、あんまりカンケーないっしょ~?」
「なんで?なんでわからないんだ?」わたしの声はもはや、半泣きになっていた。
「え~だって~………この前~……」女子高生はわたしの顔をちらりと見上げると、にたり、と笑ってから言葉を続けた「……地下鉄で~……こども料金で電車に乗ってたら~……改札で~……駅員さんにバレちゃって~………」
「ほう?」
なぜかわたしは、また椅子に座りなおした。
「……超怒られて~……なんか~駅員さんの~休憩室っての?仮眠室っての~?そーいうとこに連れ込まれちゃって~……トーゼン、その駅員さんと二人っきりでさ~……なんかミョーなフンイキになっちゃったわけですよ~……そしたら~その駅員さんが~……言うわけですよ~……『反省してんだったらそれを態度で示してもらわないと』って~……」
「……マジかねそれは。なんかウソっぽいが」
「え~……店長さん、続き聞きたかったりするんですか~?」
ピポパポン、ピポパポン。
女子高生が、身を乗り出してくる。気付けばわたしも身を乗り出していた。
舌を伸ばせば届きそうな距離に、彼女の顔があった。
「……それで~……『え~……態度で示すってどういうことですか~』って駅員さんに聞いたんですよ~……そしたら~……『態度で示すってのはこういう事でしょう』って~……スカートの中に~……手え突っ込んできて~………あ、まだ続き、聞きたいっすっか~?」
「……話してごらんなさい」
「店長エロいっすね~……それで~……なんか仮眠ベッドみたいなのに押し倒されて~……いきなりキスしてきたんすよね~……ベロin the マウスで~……」
「ベロ、イン、ザ、マウス」わたしはオウムのように繰り返した。
「……それで~おっぱいとか~メチャクチャに揉まれるわけっすよ~……あたし、ちょっと胸大きいじゃないっすか~」
「うむ」確かに。
「……で、左手におっぱい、右手in the スカートで~……パンツとか~……マジ脱がそうとしてくんですよ~……で~結局~……パンツ伸びるくらい引っ張られちゃって~……破られると超困るから~……そのままズルっ、みたいな感じで~……」
「……脱がされちゃったわけだね」
「続き聞きたいっすか~?」
ピポパポン、ピポパポン。
「……聞かせてもらえるかな」
「……やっぱ店長、超エロいじゃないっすかあ~……で~……話したら警察とか親とか、そういうのナシにしてもらえますか~?」
「……いや、それとこれとは……」
「じゃあ話さないっす~」
ひらり、と身を翻すように彼女はわたしから離れていった。
そしてまた、事務椅子の背もたれで大きく伸びをする。
また、ちらりと、へそが見えた。
「……じゃあとりあえず、警察はなし。それでどうかね?」
「……え~……」彼女はちょっとふくれっ面を作って、ちらりとわたしを見た「ま~……それから~……パンツ脱がされちゃて~……そのままスカートも脱がされちゃって~……下半身、パンゼロにされちゃったわけっすよ~……それで~……膝小僧をガシ、みたいにワシヅカミされて~……そのままガバ、みたいにM字系にされちゃったわけですよね~……そこで~………駅員さんが~……脚の間に~…………まだ聞きたいっすかあ~……?」
「……よし、学校には連絡しない。それでどうかね?」
「え~……ガッコなんて~……最初はハナシに出てなかったじゃないっすか~……ま、い~けどね~……それで~……駅員さんが~……脚の間に顔突っ込んできて~……舌で~……アソコ関係を~……」
「『アソコ関係』ってどこのことなのかちゃんと言い…」
「まんこっすよ~……まんこ、っていうかクリ集中攻撃?~みたいな~……」
「……そ、それで君は……か、か……感じ……ちゃったり……しちゃったのかね?」
「……え~……店長マジ、エロいんですけど~……え、どうだったか答えたらあ~……親に連絡しないっすか~……?」
ピポパポン、ピポパポン。
続いて、ゴクリ、という大きな音がして驚いた。
なんとそれは、自分が唾を飲み込む音だった。
数分後、わたしはバイトの赤尾くんとカウンターに並んで立ち、女子高生が店を出て行くのを見送っていた。
自動ドアの向こうで、彼女の紺色のスカートがひらりと揺れ、一瞬立ち止まり、そのまま人込みの中に消えていった。
「……店長」赤尾くんが言った「……超かわいい娘でしたよね」
「そうだね」わたしは答えた。まだ少し、呼吸が乱れていた。
「スカート、超短かかったですよね」
「そうだね」
「ケーサツも親も、呼ばなかったんっスよね」
「ああ」わたしは口の中でもごもごと答えた。
「……やっぱ自分、正社員目指します」赤尾くんがいつになく熱のこもった口調で言う「……絶対、店長クラスまで昇りつめるっす」
赤尾くんの目が、ぎらぎらと光っている。
こいつはさっさとクビにしたほうがいいな、とわたしは思った。
【完】